インタフェースの生態系
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さっき友人が「キーボード配列」について書いてるのを見たんで、 緊急で動画を回してます 私もそこから少し世界を考えてみたい。
ソフトウェア・エンジニアの多くがそうであるように、私もキーボードにはこだわりがあるほうだ。

一時期は「分割キーボード」を使っていて、これは肩こりが軽減されてよかった。キースイッチは赤軸が良いとか、そういうのを色々と試したこともある。今は Realforce というキーボードをメインにしている。キー荷重30gという軽さがラクに感じられる。
ロングセラーの「Happy Hacking Keyboard」は、共同開発者・和田英一による次のような言葉で知られる。
「アメリカ西部のカウボーイたちは、馬が死ぬと馬はそこに残していくが、どんなに砂漠を歩こうとも、鞍は自分で担いで往く。馬は消耗品であり、鞍は自分の体に馴染んだインタフェースだからだ。いまやパソコンは消耗品であり、キーボードは大切な、生涯使えるインタフェースであることを忘れてはいけない」
エンジニアにとっては、1日で最も長く触れる道具だ。こだわりたくなるのも自然なことだろう。
QWERTY配列の成り立ち
そのキーボードに、文字をどう並べるか。現代では「QWERTY」という配列が標準的だ。おそらく、いま皆さんの手元にあるものもそうなっているだろう。
この配列の起源は「タイプライター時代、機械的なトラブルを防ぐため」と言われることが多い。しかし、これは正確ではないという話も聞く。
「タイプライターのキーボードは、元々はABC順に並んでたんだ。でも、タイピストのスピードが上がるにつれて、タイプライターの性能がついていけなくなり、印字をおこなうアーム同士が絡まるトラブルが増えていった。そこで、アームの衝突を防ぐために、タイピストがなるべく打ちにくいようなキー配列をデザインしたんだ。それがQWERTY配列だよ」
これと似た回答を、読者も一度くらいは耳にしたことがあるだろう。でも、この回答は嘘だ。全くのガセネタだ。
タイプライターのキー配列が現在と同じQWERTYになったのは、1882年8月のことだが、その時代のタイプライターにアームなんていう機構はない。アームを有するフロントストライク式タイプライターが発明されたのは、9年後の1891年6月で、実際に普及するのは20世紀に入ってからだ。1880年代に存在していないはずのアームの衝突を防ぐために、タイプライターのキー配列をQWERTYにした、なんてのは全くナンセンスだ。
私はこの本を読んでいないのでなんとも言えないのだが、これを引いた記事では次のようにあった。
なぜこのような配置変更がなされたのか。安岡氏は一つの仮説を提唱しています。
それは、当時は「I」「O」が数字の「1」「0」の代わりだったから、というものです。
当時のタイプライターには数字の「1」と「0」がなく、「I」「O」をそれぞれ代替として用いていました。当時は1870年代だったので、頻出する「7」「8」「I」が近いほうが連続して早く打てたというわけです。
(中略)
もっともこれだけでなく、当時の頻出単語や数字をチューニングして配列していった結果QWERTY配列が誕生した考えらえる、と安岡氏は主張しています。効率を落とすためではなくむしろ、(1870年代当時の)効率性を追求した結果であった可能性が高いのです。そして1874年におおよそ現在のQWERTY配列が最終的に登場しました。
いずれにせよ、配列というのは恣意的なもので、唯一の「正解」があるわけではない。アルファベット順でも、メカニカルな事情からでも、効率性の追求でも、なにかしらの手がかりをもとに、誰かが勝手に制定した。
より良いキーボード配列の可能性
世の中には QWERTY の他にも数多の配列が提案されてきた。
日本語だと「親指シフト」が良いと聞く。愛好家たちがいる。私は何度か体得を試みたが結局、ものにできていない。
「Dvorak配列」はオルタナティブとして最も有名な配列だろう。英文でのアルファベットの出現頻度と相関性を分析して設計された。これは主要なOSにも採用されているので、設定すれば今すぐにでも使い始められる。
しかし、実際に使っている人はかなり少ないだろう。
それは、既にほとんどの人が QWERTY に慣れ親しんでいるからだ。
取り巻く環境も大きく影響する。例えばショートカット。テキストの「コピペ」は、「⌘ + C, V」。多くの人にとって、自転車に乗るような手続き記憶として身体に馴染んでいるだろう。ゲームの「WASD」キーとか、 Vim や Gmail での「J, K」キーによる上下移動などもそう。 QWERTY が前提となっている。
これらは Dvorak 配列では使い勝手が大きく異なってしまう。そのため、再頻出文字をホームポジションに割り当てつつ、ショートカットキーの配置を QWERTY から変更していない「Colemak配列」というのも提案されており、主要なOSでも採用されている。しかし Colemak も未だマイナーなままだ。
たまたま
元記事で知ったが、経済学には「経路依存性」という概念がある。過去の経緯や歴史的な出来事が、現在の選択肢や将来の方向に強い影響を与えることを指す。
思い浮かんだのは人間の言語(”自然”言語)だ。日本語で「イヌ」と呼ぶ動物は、「dog」とも「chien」と呼んでもよい。アルファベットやアラビア数字といった記号だって、その形状に必然性はない。たまたまそうなった。
今、もしゼロから設計できるなら、もっと良いものを作れるのではないか。
1980年代から開発されている”人工”言語「ロジバン」は、述語論理を文法の基盤とし、構文上の曖昧さが全くない。また、文化的に中立であるために、ロジバンの単語は、作成当時に話者数の最も多かった6言語(中国語、英語、ヒンディー語、スペイン語、ロシア語、アラビア語)の語を統計的に混合して作られている。とても面白い試みだ。
だが、それを全世界の人々が使う未来を、想像できるだろうか?容易ではないと思う。
最も良いものが最も普及するなら、みんな JavaScript じゃなくて Haskell でプログラミングしてるはずだ。でもそうはなっていない。そもそも「良い」ってなんなのか?
新しい生態系
誰かがグランドデザインを作り、全体を制御していくやり方は、かなり難しいことなのだろう。 hikaru さんなら、計画経済と市場、みたいな言い方で解説できるかもしれない。
ここでは「生態系」という捉え方をしてみよう。
包丁を使うためには、まな板や砥石も必要である。ある道具を使っていると、その道具を使いやすくするために、また新たな道具が生み出される。そうして、相互に依存し合う道具のネットワーク、いわば「道具の生態系」ができあがっていく。
森田真生『数学する身体』 p.25
生態系は、誰か一人のマスターが全体の舵取りをしているわけではない。色々なものが相互に影響して、偶発的に変容する。
例えば iPhone。これは世界へ大きな変化をもたらした。しかし Apple はどれくらい、そのもたらす未来を想像していただろうか。Instagram の、PayPay の、Uber の可能性をどこまで考えられただろうか。
欲求を満たすかたち
iPhone の誕生で QWERTY 配列が使われなくなったわけではない。しかし「フリック入力」という新たなかたちも普及した。そのほか、 タッチスクリーンならではの新たなインタラクション形態も数多く生まれた。
2012年初頭、「Clear」という iPhone アプリを見たときの驚きを覚えている。ミニマルなデザインで、ボタンというものが一切なく、スワイプやドラッグといった(今となっては当たり前の)ジェスチャーだけで操作する。なんてクールなんだ!このアプリが普及するかは分からないが、その概念は広まるのではないかと感じた。
それが皆の欲求を満たすから、”自然”だから、新たなものが受け入れられていくのだと思う。便利で、ラクだし、気持ちいい。
しかし、全ての生態系が繁栄するわけではない。昔の Macbook にあった「タッチバー(キーボード上部の横長タッチディスプレイ)」は、結局たいして使われず邪魔者扱いされ、廃止された。
新しい世界ではまだ、そのかたちが分からない。「自動車」を見たことがないときに「もっと速い馬車」を求める、というやつだ。
19世紀末、映画というメディアが誕生したばかりの頃。撮影するカメラは固定され、「客席から見る舞台演劇」の延長にあった。でも、現代から見れば言うまでもないことだが、カメラは動かしてもいいし、撮影したテープを切り貼りしても、逆再生したっていい。そうした試行錯誤を経て20世紀には、映像だからこそ可能な新しい表現(第七芸術)が開花した。
AIは、これまで人間が親しんできた「対話」というインタフェースにより、人口に膾炙した。でも、そこにはもっと多様なかたちがありえるはずだ。それは誰か一人だけがつくるものではない。これからの生態系は、どんな道具を育むだろうか。




