富豪的
先日、「ドライヤーを二つ同時に使う」という話を聞いた。お風呂上がり、両手でひとつずつ持って髪を乾かすそうだ。自分にはない発想だったのでビックリした。試しにやってみたら、めちゃくちゃ早く乾いた。
他にもこんな話。ワイヤレスイヤホンは便利だが、数時間で電池が切れてしまう。「だからAirPodsを2セット持っている」という人がいた。ひとつが切れたら、もうひとつを使って、その間に電池切れのほうを充電するそうだ。
二つとも、そういう捉え方があるのかと、私はすごく新鮮な気持ちを抱いた。「コロンブスの卵」や「一方ロシアは鉛筆を使った」といった逸話と、問題に対する視点の転換という意味では似ているが、その方向性は異なる。
富豪的プログラミングという考え方がある。フリック入力を開発したことでも知られるユーザインタフェース研究者、増井俊之さんが1997年に提唱したものだ。
昔はコンピューターが非力だったので、人間が必死に知恵を絞って、効率的で複雑なプログラムを書くことに努力を注いでいた。
しかし現代では、ハードウェアの性能は劇的に向上し、価格も安くなった。そこでは、機械の時間は安く、人間の時間は高い。
なので、機械のパワーを無駄遣いしてでも、人間にとってやりやすい方法を選ぼう、というのが富豪的プログラミングである。最適化を考えず愚直に作ったり、重複を気にせず毎回全てを再生成したり。
今ではクラウドサービスをじゃぶじゃぶと使って開発することにすっかり慣れてしまったが、ちょっとしたコードを実行するためだけに、世界中のどこかにあるサーバーがたくさん動いていると考えると、これはなかなか富豪的だ。
現代の大規模言語モデルこそ、富豪的であろう。実装自体はものすごく最適化されているだろうが、計算資源やデータはとんでもなく潤沢に投入されている。
私が自然言語処理の世界へ足を踏み入れた2010年代初頭は、まだ自分でアルゴリズムを実装して、手元にあるデータを使って、ローカルパソコンで学習を回す時代だった。
それが今や「データとパラメーターを1兆倍しました」という世界だ。くらくらする。
AI研究に長年取り組んできたリチャード・サットンは、「人間が知識を教え込むよりも、計算能力の増大に合わせてスケールする汎用的な手法のほうが、長期的には勝利する」と述べる。そのほうが年々低下していく計算コストの恩恵を受けられるからだ。これを「The Bitter Lesson(苦い教訓)」と言う。
そうやってスケーリングしたからこそ、AIの性能と普及がここまでに至った。
上でAIの「富豪的構築」について述べたが、その「富豪的利用」も始まっていく。
先日読んだ、スタートアップ支援に長年携わる馬田隆明さんの記事が面白かった。
ソフトウェアや知能が安くなったときに起きること - 🐴 (馬)
1830年頃、わずかな夜の明かりを得るためには、約3時間の労働が必要でした。しかし1992年ごろにはそれが1秒にも満たない労働ですむようになったと言われています。ロウソクから白熱電球、蛍光灯へという技術的発展が、光を劇的に安くしたのです。
そうして光が安くなったとき、人は同じ量の光を単に安く買って終わり――ということにはなりませんでした。
照明が安価に手に入るようになったことで人々は、これまでにロウソクを置いたところだけでなく「ありとあらゆる暗い場所」へそれを敷き詰めるようになった。
ではこれから、ソフトウェアや知性が安くなっていくとき、何が起こるか。
知性というものの供給制限がなくなっていく中で、最初に挙げたドライヤーやイヤホンどころではない、これまでの延長線上にある想像からはかけ離れた世界が実現されていくのだろう。
すると「価値の生まれる場所の移動」が起こる。情報処理部分がボトルネックではなくなると、それは別の場所へ移る。そして価値は常に、詰まりを解消する場所に生まれるとこの記事では解く。
それはたとえば、現場への導入、責任の引き受け、品質保証、規制対応、固有のデータ、業務フローへの統合、そして物理世界での実装です。
実際、AIの文脈では、ボトルネックはGPU、データセンターの変圧器、電力や水、系統接続の順番待ち(規制)へと移りつつあります。これまでのAIは、豊富な物理的資源の上に成り立ってきましたが、物理的な制約がボトルネックになりつつあります。
つまり、価値はソフトウェア単体から、それを現実に機能させるためのものへと寄っていくのではないか、ということです。
ドライヤーやAirPodsを買うのにもお金がかかるし、そのぶん他のものを手に入れられなくなる(あと、ブレーカーが落ちちゃうかもしれない)。手に入れるには、それらがとても安くなるか、自分が富豪になる必要がある。
現実にはリソースは有限だ。2杯のビールと3人の客があるとき、追加で3杯目を頼むということがいつもできるわけではない。
技術革新による富豪的解決は多くのことを解消するだろう。しかし、それで全てが解決というわけにはいかないのかなと思う。そのときに何が求められるのだろうか。
また、富豪であることが必ず良いことなのだろうか。それについてはまた改めて書いてみたい。
追記: 続きを書きました。

