押し売りよりも、自分で見つけたい
科学技術の欠如モデルと考える時間
科学コミュニケーションについて学んでいた話を昨日書いたが、社会人学生としてたった1年ほど触れたに過ぎず、誇れるほどの知見や技術を積み上げられた自負はない。修了してからそういうものを続けたわけでもない。
それでも、当時の経験から今も自分の中に残っているものが特に二つある。それは、個々の科学技術や倫理的な論点というより、もっと広くコミュニケーションそのものに関わるような事柄だ。
一つ目は、「押し売り」の話。
科学技術に限らず専門知識を身につけた人は、得てしてそれを「教えてあげる」という啓蒙的な態度、パターナリズム的な方向性を取ってしまいがちだ。
そういう上から目線の構図を「欠如モデル」と呼ぶ。大衆が科学技術を信用しないのは「情報が欠如してるから」「理解が足りないから」と捉える考え方だ。
これは、一方通行だ。そのようなコミュニケーションは、人々の価値観を置き去りにする。信頼を得られない。だから伝わらない。加えて、専門家がいつも正しいとは限らない。素人の専門性が役立つこともあるし、専門家も自身の領域を出れば素人だ。
コミュニケーションの成否を決めるのは、いつだって受け手の側である。
その反省から、現代の科学コミュニケーションにおいては「対話・参加」が重視されるようになったそうだ。相互理解と信頼構築。「何を知らないか」ではなく、「何を懸念しているか」に視点を置く。
とはいえ、押し売りって、やってしまいがちなことだと思う。自戒として、このことをたまに思い出す。
このテーマを教えてくれた、CoSTEP部門長の川本思心さんによる第1回講義については、次の記事で紹介した。
1980年代イギリスを襲ったBSE(牛海綿状脳症)問題。専門家への信頼が失墜した。そこから科学コミュニケーションが生まれた、という話から始まる。
いかがでしたか?皆さん、ちゃんと理解できましたかね。えっ、よく分からない?まったく、これだから学のないヤツは…
もう一つは、修了直前にやった企画展示でのことだ。
私は、内地(本州)から北海道へ来て、様々な驚きがあった。それらを表現したいなと、みんなでデータ可視化の手法などを用いて色々と作った。
北海道で1年間降る雪は、年間479 cm。この値は、北海道にある179の市町村の平均値です。実際には、1348cmも降る幌加内町もあれば、140cmしか降らない苫小牧市もあります。あなたがイメージしたのは、札幌の雪でしたか?それとも、別のどこかの雪でしたか?
また、観光地として人気の高い北海道は、旅人の視点とそこに住んでいる人の視点など、立場によってその印象が大きく違ってきます。みなさんは、どの立場として北海道を見ていますか?
今回の「ななめせんなめせん」展では、いわゆる一般的な北海道のイメージからもう一歩踏み込んで、いつもよりちょっと違うななめなめせんで、北海道を再発見することを目指します。そのため、かたむき、思い出、地図、輪郭、境目など、北海道に関する5つの体験をご用意しました。いつもより凸凹している北海道を見つめる場を通して、みなさんならではの「ななめせんなめせん」を考えてみましょう!
ソーシャルデザイン実習が展示「ななめせんなめせん」を開催します – CoSTEP – 北海道大学教育イノベーション機構 教育開発センター 科学技術コミュニケーションユニット
展示の詳細は、次の記事で紹介している。
さっぽろ雪まつりと札幌国際芸術祭(SIAF)の時期だったこともあり、4日間で640人以上が来場してくれた。
5つほど作品を作った。その中には、
自治体ごとの「人口」「牛口(牛の数)」「漁獲量」をもとに、実際の重心から”傾けた”北海道だったり、
年代ごとの自治体人口を「カルトグラム」という手法(値に合わせて地図の面積を変化させる)で心臓の鼓動のように表現した動画だったり、
そういった、パッと見では分かりづらそうなものもあった。
私が展示会場にいる。人が立ち寄る。このアニメーションを見る。首を傾げる。
するとすぐさま私は駆け寄り「これは自治体の人口を表していて、札幌が圧倒的に大きいことは当然ですが、それが年代を進めるごとにより顕著になってきているのが分かりますね。都市への一極集中が加速しているわけですね」とまくしたてる。
我々の班を指導してくれたCoSTEPスタッフであり現代美術家の朴炫貞さんが、その様子を見ていて、「全部最初に説明してしまわず、自分で考える時間を与えると良い」と諭してくれた。
私は良かれと思って、親切で沢山喋っていたのだ。しかしその言葉を聞いて、ああ、そうか、と見え方が変わった。そう、自分で考える時間。
教育の分野では「答えをそのまま教えるのではなく、自ら問題解決する能力を養わせよう」というような考え方がある。「魚を与えるのではなく、釣り方を教える」というような。
だが、この話を私はもっとシンプルに捉えている。それは「その人の喜びを奪わない」ということだ。自分で知りたい、見つけたい、そして驚きたい。それを邪魔しない、奪わない、待つ。
このことを、今でもたまに思い出す。コミュニケーションにおいて大切なことだと思う。



